
本当はもっと定期的に更新せねばと思っているのだけど、何しろネタがない。
ないわけではないけれど、人さまに読ませるものではないと、いつも止めてしまう。
基本的に自信がないのだ。写真も、文章も、自分自身にも。
それでも片手でおさまるほどわずかな、奇跡の数人がたまに声をかけてくれる(先日ひとり増えた)。
そんな皆さまには、なんともマニアックですねと思うばかりだけれど、
声をかけられると喜ぶので、それならばと久々にログインを試みた。
もともと服が好き、靴が好き、バッグが好きで、会社員時代は給料そのまま買い物にスライドなんてこともざらだったのだけれど、海外と日本を行き来する生活をはじめてからは、服を買うことも少なくなった。
そもそもそんなにたくさん持って移動できないし、
オランダもベトナムも扱いに気をつかうような繊細な服は洗濯できないのだ。
あっという間にTシャツ・スウェットにデニムとコンバース、カジュアルサイコー!となった。
そんな訳で、下駄箱いっぱいの革靴たちはほとんど手入れもされないまま死蔵されることになってしまった。
コンバースとマーチンを交互に履く生活となって久しかったのだけれど、
日本でそれなりに人と顔を合わせる日々が長くなると、久しく封印していた服好きが顔をもたげはじめた。
随分と着ていなかったロング丈のコートが欲しくなるし、そうするとバッグだってちょっと小ぎれいなものを合わせたい。そうだ革のブーツを合わせたらカッコいい!となる。
ところが、もう何年も放置していたせいでラバーソールが劣化してしまったブーツはソールの交換が必要だった。
数年前に近所にできた靴の修理屋は、なんだか取ってつけたようなシャンデリアが気になったけれど、少し調べたらファッションエディターも利用しているようだったので、店主の対応に引っ掛かりを覚えつつも修理を頼むことにした。
でも、これが間違いのもとだった。
2ヶ月後、変わり果てた靴の仕上がりに愕然とした。
“オリジナルと同じように”と依頼したにも関わらず、全面に貼られたラバーソールはめまいがするほどセンスの悪い模様で、面取りさえされていない。ボソボソとラバーがはみ出る始末で、スタイリッシュさは皆無。
あまりに酷いので苦言を呈すと、返ってきたのはさらに驚きの言葉だった。
——でもこのソール、滑りにくくて、いいものなんですよ
滑りにくくしてくれなんて頼んでないし、いくらVibramがいいソールでもこんな模様はまっぴらごめんだ。
オリジナルのように無地でシンプルな、ただのラバーの固まりがよかったんです。
——でも、こういう無地のソールは一般の修理屋では扱いがないんです
もし本当にそうであれば、オーダー自体が無理なものなのだから、その場で説明するべきだろう。
それとも素人相手だから、いつも通りVibramつけておけばいいだろうと思いましたか?
そもそも、靴の底なんてそこまでこだわることじゃないとでも思ってますか?
そうとしか思えない対応だった。
人から見たら気にもならないようなところにまでこだわれるかどうか。
美は細部に宿るし、そういう小さなことの積み重ねからものの品格は生まれるのだ。
焼き物もジュエリーもまずは裏側から見るのがアンティークの鉄則だ。
そういうこだわりをないがしろにするような仕事には職人としての気概を感じないし、何より、客に対して、靴に対して、誠意のかけらも感じられないない。
どうしても納得できずにネットで調べると、神戸でオリジナルと同じように修理してくれるところが見つかった。
電話で事情を話すと、ともすればクレーマーとも取られかねない話を聞いてもなお「もしお任せいただけるようであれば現物をお送りください」と言ってくれた。あくまで謙虚に誠実に。
その日のうちに送り出すことにした。
翌々日、受け取り確認メールに添えられた一言に一瞬で気持ちが軽くなった。
——前回の修理は気分も悪いでしょうからお忘れになってください(笑)
私の怒りとか、靴への想いとか、希望とか。そういうもの全部ひっくるめてわかったうえで、任せろと言ってくれているような。
あの靴はきっともう大丈夫。そう思えた。
要するに、共感力だ。
いかに相手に共感するか、いかに相手の共感を得られるか。
だって、いつもお決まりの対応も、機械仕掛けみたいな発言も、形骸化した対策も、もうみんなうんざりじゃない?
ただひたすら文句に終始してしまった感があるけれども、
戻ってきた靴はオリジナル通りの丁寧なつくりで、今は履くたびニマニマしている。
とりあえず些細な違和感はトラブルにつながるということがわかったので、
自分の感性信じていきたいよね。
