
日本では3年ぶりの皆既月食。さらに1年で最大の満月スーパームーン。
次回こんな組み合わせで見られるのはもう12年も先のことらしいけれど、東京の空は雲に覆われて結局見ることができなかった。
それでも、見えない満月を思い空を見上げる。
満月の夜は思い出すから。
あの国を、あの国の祈りを。
ギラギラとした太陽が少し優しさを取り戻しはじめた夕方、街を歩くと線香の香りが鼻をかすめる。
路上に設えられた祈りの卓に、線香の煙と菊の花が揺れている。
きれいに積まれたフルーツ、パステルカラーのあられ、カラフルなフィルムに包まれたキャンディー。
それからまさかの札束。もちろん偽物なのだけれど、地獄の沙汰も金次第ということだろうか。

日が暮れると火を起こし、道端の炎に札束をくべる。
ぞんざいにかき回された炎は新しい空気に触れて燃え上がり、深く皺の刻まれた顔を赤々と照らし出す。
ぱちぱちと爆ぜる炎は先祖への祈り。
炎とともに故人を弔い、豊穣を願うのだ。
翌朝、明るくなった道端にカラフルな祈りの残骸を残し、街はふたたびバイクのクラクションに包まれた。
特別なことなど何もない。日々くり返されるこの国の日常だ。

最初は個人的なものなのかと思っていたけれど、どうやら月に2回ほど決まった日があるらしい。
それが旧暦の1日と15日、つまり新月と満月の日だと知る。
この日は仏教徒にとって「菜食の日」でもあり、厳格な家では、この日肉や魚を食べない。
米粉や大豆ミートを使った精進料理のような、いわゆるベジタリアン料理を食べる。
いつもの市場の食堂もこの日は菜食メニューだし、街の専門店は大繁盛だ。
友人も仏教徒だったから、満月と新月の日は私も当然のように彼女と同じものを食べていた。
こうして少しずつ月の周期が刻まれていく。
旧暦、つまり太陰暦の1ヶ月は30日。
15日ごとにくり返される月の満ち欠けとともに日々が回り、
祈りとともに新しい月を迎える。
ベトナムでは旧暦が日々の生活のなかに溶け込んでいて、めくり忘れかと思ったカレンダーは旧暦用。
みんなが盛り上がるのはテトや中秋節、どれも旧暦のイベントだ。

そうやって過ごすうち、いつの間にか空を見上げることが多くなる。
夕飯のメニューに、線香の香りに、炎の爆ぜる音に、翌朝の道端の色彩に、ふと気づくから。
——あぁ今日は(昨日は)満月だ
そしてまた空を見上げ、月の満ち欠けとこの国の祈りをそっと思う。
最後にダナンに行ったのはもう2年も前のことだ。
それでもたまに思い出す。
線香の香りのしない東京で、焚き火ができない東京で。
満月の夜、あの街の喧騒と静けさに溶け込んだ祈りのカタチ を。
