
2023年こと始めは美術館から。
世の中のみなさんが仕事始めという1月4日。
前日にたまたまinstaで広告を目にした国立西洋美術館『ピカソとその時代 ─ベルリン国立ベルクグリューン美術館展』へ。
ピカソにはもともと興味があったし、バルセロナを旅したときにはピカソ美術館も訪れた。
小説家・原田マハの作品にもたびたび登場する(新潮社刊『暗幕のゲルニカ』『楽園のカンヴァス』ほか)。
原田作品に描かれるピカソはエキセントリックで、まるで未来を見透かすような発言も多い。
そんなところも含めてパブロ・ピカソは魅力的だった。
そもそもピカソはとんでもなくうまいのだ。
ピカソ美術館で見たデッサンには度肝を抜かれたし、数枚のスケッチだけでキュビズムの画家という印象を一変させるには十分だった。
私なんぞには見えないものが見えているに違いないと、その時から思っていた。
すべてを見通す目を持っていると。
「まだ見たことのないピカソ、35点が日本初公開。」と銘打たれた本展は、ピカソ初期の青の時代、バラ色の時代を経てキュビズムの時代からシュルレアリスムの時代へと変遷するピカソ作品108点を展示する。
キービジュアルとなっている日本初公開の《緑色のマニキュアをつけたドラ・マール》をはじめ、これぞキュビズムといった作品が数多く展示されている。
見るたびに難解だなと思うし、やっぱり私なんぞに理解できるものではないのだろうなという思いがつきまとうのだけれど、今回は私気づいてしまった。
ピカソはきっと人間の“軸”が見えるのだ。
それはきっと人間の芯とか筋にも通じるもの。
《水差しを持ったイタリア女》のふんわりとふくらむ袖の中を通る腕がズレることなく手のひらへと続くように。
《踊るシレノス》でくにゃくにゃと踊るシレノスがその体勢を維持できるように。
《大きな横たわる裸婦》のゴツゴツしたキューブの身体が、それでも女性であるように。

あんなにも人間を解体して描いたピカソ。
それでも彼が描く人間の軸は決してぶれない。
だからあんなに抽象化されても、人間の形を保っている。
結局──彼が描いたのは、どこまで行っても人間だったのだ。
そう思ったらなんだかホッとした。
ピカソは理解不能な奇人でもなければ、未来を予知する神でもない。
ちょっと目がいいだけの人間なんだ。(暴言)
そんな話をパーソナルストレッチのトレーナーさんに話したら、私自身の身体の軸が前よりも通っているという。
ピカソの“軸”を感じたことで身体が変わる。
やっぱりちょっと神様かもしれない(笑)。
でも要するにそれがアートの力。
前回のスペイン旅はバルセロナだけだったから、マドリッドのソフィア王妃芸術センターに収蔵された《ゲルニカ》はまだ見ることができていない。
いつか《ゲルニカ》を見に、ピカソに会いに行こう。
また旅に出よう。

